『燃えよ!カンフー』1stシーズン DVDコレクターズBOX〈6枚組)


正直・・・ブルース・リーがオリジナルのアイデアを提供しただけで、
主役は逃したというこのTVシリーズは、
ブルース・リー ファンとしては、いい印象を抱き辛い思いがあります(よね)。
私なんぞは、今回この『燃えよ!カンフー』1stシーズン DVDコレクターズBOXを
レンタルで見掛けなければ(^^ゞ、なかなか見れる機会は得られなかったと思います。
(セカンドシーズン DVD8枚組BOX は、見れてません ^^;)

本国アメリカでは、4年も続いた人気シリーズだそうで、その東洋哲学的な内容から
例えて言うと「宇宙大作戦/スタートレック」の”トレッキー(でしたっけ?)”とか
或いは「スターウォーズ」の熱烈なマニアみたいな・・・、

この『燃えよ!カンフー』で言うならば
”カンフィニスト”とか”カンファー”(←勝手に造語^^) とでも呼ばれるような?、
一部の東洋的哲学好きな西洋の人にウケそうなシリーズかな?と私的には思います。
そして、今更ですが、このシリーズのヒットと、その製作が後に「燃えドラ」を撮る
ワーナー・ブラザーズであったって事が結構大きなポイントだった事に気付きます。

そして、DISC1とDISC2に収録されている特典映像では、
アジア人アクター、ブルース・リーにとってのハリウッドでの大きな分岐点について、
ハリウッドの製作者側からの”証言”みたいなモノが取れている点が貴重だと思います。
平たく言えば、ブルース・リーを主役にしなかった当事者の言い分を
100%本音ではないにしろ、その一端を今になって聞ける!っていう事ですね。

勿論わたしは、英語は全然出来ませんので今回のDISCの日本語字幕だけが頼りで
”証言”の中の英語の微妙なニュアンスなんかが、もしあっても字幕からのみの解釈ですが・・・




原案・脚本家の2人曰く・・・

原案者が、空手の手合わせをしていた相手(3段)の妻が、
中国系ハワイ人でクンフーの使い手でもあり、
その空手3段の夫でも妻にはかなわない・・・
また、”サムライ武蔵”の中に少林寺の僧が出てきてアイデアが浮かんだ・・・

って言ってますが・・・
原案については、ブルース・リーの”ブ”の字も語られてないですね。
また”サムライ武蔵”っていったい??・・・
なんか西洋お得意のトンチンカンな混同や思い込みの産物でしょうか?。
あと、主役のキャスティングについて、
製作・監督の方は、ブルース・リーを希望だったとの証言はありますが、


B・リーを面接した、WBテレビジョンの前副部長 曰く・・・

足で面接室のドアを閉め、ヌンチャクを振り回し
腕を触らせ(←これはありそう^^)、触ったら堅かった。
クラクラする存在感だ!。
しかし
彼の(リー)の持っている本や道具類を見たけれど
正直、理解しづらかった・・・。

って証言しています・・・
なんだかなぁ〜
”クラクラする存在感だ”・・だったら、主役にせんかい!。
また”正直、理解しづらかった”・・って、これから東洋的なテーマでシリーズを
撮ろうとしている責任者たる副部長がなに言ってんねん!!。つー感じですね。^^
どうせなら「かわいい女」のウインスロー・ウォンがリーさんに降りてきて
大暴れしたらよかったのに〜と思います。^^

あと製作・監督の方は、番組制作にあたり、アメリカの東洋人社会に意見を求めたと語り


「グリーンホーネット」でブルース・リーと共演し
この「燃えよ!カンフー」にもゲスト出演したマコ(岩松)は・・・


第一にデビット(キャラダイン)を代えろ!。

と要求したと証言していますね。
代わりに誰を主役に押したかまでは言ってませんが・・・

まぁ結局のところ、当時の製作サイドとしてはこの”カンフー”というテーマで西部劇を制作し、
それをTV局に購入してもらう事自体が結構むずかしいと考えられていた状況で
主役に東洋人を持ってくるという事は、はなから不可能だったっていう雰囲気が漂っていた気がします。
要するに当時としては、残念?ながら主役は白人であるデビット・キャラダインが
なるべくしてなったと言わざるをえない感じです。

結局、この時に限らずその後もアメリカのTV界において
単独で主役をはった亜細亜人の俳優さんって居たのでしょうか?
詳しくは知りませんが・・・、サモ・ハン・キンポーがこの25年以上後に
漸くTVシリーズ「LA捜査線 マーシャルロー」で主演したくらいでしょうか。
(あと・・サモ・ハン以前の忍者ブームの時にもあるにはあったのかなぁ)

兎に角、製作にこぎつけた『燃えよ!カンフー』は・・・
西部を旅するハーフの僧ケインに、過去の禅問答的な回想シーンを織り交ぜ
スローモーションを多用した僅かなアクション・・というパターンで、
ヒットを飛ばす事となりますが、
メイキングでデビット・キャラダイン本人も語っているように
2年、3年と番組が続くうちに煮詰まってくる訳で
もしブルース・リーがこの『燃えよ!カンフー』の主役を射止めて”しまって”いたなら
ジェームズ・コバーンが言うように才能をダメにし
また、一連の香港での主演映画も作られてなく、後のクンフー映画ブームも
無かったかもしれません。

実際には、1971年にブルース・リー自身が蒔いた『燃えよ!カンフー』の種は、
1972年にアメリカのTVで咲き、1973年には「燃えよドラゴン」という実を結んだと言えなくも無いですね。
つまりワーナー・ブラザーズTV製作の『燃えよ!カンフー』の1972年のヒットが、
同じWBで「燃えドラ」の製作を決意させた要因のひとつになるのでしょうか。

ちなみに、この『燃えよ!カンフー』はシリーズ終了後も
何度かスペシャルエピソードが撮られていて
ご承知の通り、80年代半ばにはブランドン・リーが、主人公ケインの息子役で出演し、
(共演は、リー親子と共演を果たしたマコ!)
父ブルースが成し得なかった『燃えよ!カンフー』への出演を
ゲストとという形ではあるものの、息子ブランドンが成し遂げたという
因縁の話もありますね。

また、私的に『燃えよ!カンフー』での盲目の僧、ポー老師の声やセリフ回しを聞いていて
あれぇどっかで聞いた事あるなぁーって思ってたら
「燃えドラ」の石堅(Mr.ハン)の声を当てていた、ケイ・ルークという俳優さんだったのですね。
ここにも「燃えよドラゴン」と『燃えよ!カンフー』のささやかな因縁を感じます。


もしブルース・リーにとって、運命の1973年7月が避けて通れない定めであったなら、
1971年から1973年の2年間を、アメリカに居てアジア系TV俳優として受け入れられるより
香港で過ごしてくれてよかったと私的には思います。

2006.5


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