鯖浦線(国鉄鯖江駅〜水落 間)

鯖浦線
(”せいほうせん”、”せいほせん” または  ”さばうらせん”) は、

昭和4年(1929)4月に旧国鉄鯖江駅から織田までの全線開通。
昭和34年(1959)7月、鯖浦線〜福武線の連絡線が開業。
昭和37年(1962)1月、鯖江駅〜水落間が廃止。(含む:鯖浦線水落駅〜水落信号所)
昭和47年(1972)10月には、西田中〜織田間が廃止。
昭和48年(1973)9月に水落〜西田中間も廃止され全線廃止となりました。

こちらでは、昭和37年に最初に廃された、
現JR鯖江駅から旧水落(元:神明)駅間と更にその元神明駅から水落信号所までの、
途中、東西に急な高低差もあって探求心を刺激される廃線跡を辿ってみました。

北↑ _______
______ ↑南

明治時代の国鉄鯖江駅 (鯖浦時代より前の時代ですが)          こちらは現在(2016)のJR鯖江駅



いざ出発!
JR鯖江駅の西側、鯖浦線の鯖江駅があったあたり。       今は、タクシーの停車場と駐輪場の建物が建ってます。

駐輪場の建物の北側、今はボトルネックのごとく幅が狭まってます。   南を振り返る。先程の幅は鯖浦線の名残でしょうか。

現在の馬蹄形の高架橋の前後。       高架橋の北あたりが、鯖浦線の東鯖江駅のあった位置くらいでしょうか。
  高架橋の道路(ここも国道417号)を西に行くと 誠照寺の南や福武線西鯖江駅に出ます。

暫くすると、JR の軌道は大きく東に曲がって行くのが見えます。     右は、昭和3年の鯖浦線東鯖江駅。↑   

そして、徐々にJR の軌道とお別れ。   用水路の経路が当時と変わってなければ、鯖浦線は用水路より東側。(右写真の左手)

用水路の東側より、南の方角(鯖江駅方面)を望む。(左はJR を跨ぐ8号線の高架橋)   やがて、国道8号線の長泉寺交差点に出る。
実際の鯖浦線は、用水路と同様現8号線の東に一旦出て 越前ポリマーの敷地の南西の角をかすめ、
再び8号線を跨ぎ、緩やかに弧を描きながら西の高台の方に向かったと思われます。

↑左の山の北側の高い尾根が終わり、そこから続く高台の東側斜面に、 はり出して残る盛り土が現われます。
まるで前方後円墳の円墳部分のようで少々不思議な感じがしますが、 ”円墳”のふもとは整備されて公園になっています。

もっと長く傾斜が緩やかだったのか、或いは、斜めの高架橋のようなものがこの上に あったのかは不明ですが、
鯖浦線は、ここから高低差を登ったそうです。ちなみに写っているレンガは、 鉄道遺産ではないようです。(~_~)



”円墳”の頂上から東方を望む。正面の体育センター右後方から                   こちらは”円墳”頂上から西方、
この建物左側面あたりに回り込んで来て、ほぼ直角にここへ登ってきたのかな。      南北に通る旧北陸道を住宅の間から見る。

民家の間を登りきると旧北陸道。                   この旧北陸道と鯖浦線の交差点は、
街道上から今登って来た”円墳”を振り返る。          かつて踏切があったとか。(北陸道を南から北に望む)

そしていよいよ鯖浦線と福武線が立体交差していたと思われる地点。       鯖浦線の(旧)しんめい駅。写真右手中央上に
突き当たりは福武線軌道の土手。                         小さく、福武線水落駅の駅名看板?も見られます。
嘗てはこの土手が切れていて鉄橋が架かっていた。         鯖浦線の線路は、福武線を潜った後右にカーブしています。

福武線西側から、鯖浦線(元)神明駅付近を見下ろす。    写真中央奥の青い住宅あたりが、かつての福武線水落駅か?。
鯖浦線と福武線の連絡線ができる以前は、乗り換えのお客さんの上り下りで賑わっていたと 思われます。
鯖浦線の(元)神明駅は、現神明駅(元中央駅)に名を譲り”鯖浦線水落駅”を称していましたが、
連絡線が出来て現在の位置に福武線水落駅が移動した、昭和34年(1959)に鯖浦線南水落駅となったそうです。

福武線旧水落駅北側の列車交換用軌道跡が残る橋脚台です。   軌道の土手も東側に広くなっています。(右手が駅のあった所)


更に鯖浦線は旧国道8号(現国道417号)の鯖江郵便局口交差点下でカーブし、 郵便局裏北側を西山公園野球グランド方向へ。
旧国道8号線の開通は昭和33年のようなので、 8号線開通当初は鯖浦線はもとより連絡線も先に跨いでいた事になります。

↑(左写真)国道417号の鯖江郵便局口交差点北西から、郵便局北側の道とその奥の 野球場方向を望む。
また、この郵便局北側の道に降りて、さっき野球場を望んだ国道西側土手を振り返る。
右写真中央奥の土手は福武線と国道を潜っていた鯖浦線の埋められた軌道跡と思われます。↑

↑そして、野球場の北側道路に出て西縦貫線、日野川方面を望む。 まさしく、西へ真直ぐ伸びるは鯖浦線の軌道跡です。
ここは、前記↑昭和34年、鯖浦線と福武線とをつないだ連絡線が、 鯖浦線と合流した地点で水落信号所と呼ばれ、
鯖江駅からの一部の電車はスイッチバックで福武線水落駅→福井へと向かっていたそうです。 (昭和37年1月まで)

振り返れば、最も右の道が今来た鯖浦線の廃線跡の経路、
真中の道は、さきほど行った福武線の旧水落駅列車交換用軌道跡が残る橋脚台のあった道路、
最も左の道が福武線水落駅からの連絡線跡となります。↑

最も左の道の連絡線跡を左カーブしながら、現福武線水落駅方面へ向かう。 再び、国道417号をくぐり・・・、

現福武線水落駅を(国道417号鯖浦線高架橋上より)望む。    かつての構内の操車場はパーキング(無料)になっています。

昔の水落駅は駅舎があり相対式ホームでしたが、現在の駅は島式ホームで無人駅です。



ちなみに確か、西田中〜織田間の廃線間近の昭和47年(だったと思う)のお正月、
父と織田の剣神社へ初詣に行った思い出が、唯一私の鯖浦線の記憶です。m(_ _)m


平成二十八年(2016) 春四月

令和五年(2023) 新春追版





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