ブルース・リーの自宅書斎にあった、映画雑誌 『スクリーン』 1973年7月号!    ( 情報 2022: ptl 様 )


● 『 李小龍的生與死 (1973) 』より









● 李小龍邸の書斎のテーブルの上にあったのは、、、

日本の月刊映画誌”スクリーン”の1973年7月号 (1973年5月21日発売:付録大型ポスター=スティーブ・マックィーン) だった!!。




● 再現 X2! 2024月4月20日 by Bo-Jitsu-Bo









そしてなっなんと!、当月(1973年5月下旬〜6月中旬)封切り作品紹介の記事に


ジム・ケリーの映画初出演の、
邦題『残酷欲情軍団(1972)』( 原題:MELINDA )が掲載されてました!。






● 今想像しますに、1973年の5〜6月と言えばリーさんにとって『燃えよドラゴン』の仕上げ作業でかつてない緊張と多忙を極め、

そんな中の5月10日の昏倒と渡米は未来への希望の影と光が射した頃だったと云えます。まさにその時期、この香港の李小龍邸の

書斎のテーブルの上にあった日本の月刊映画誌「スクリーン」の1973年7月号はどのような経緯でそこに存在したのか?、、。




▲ 因みに、1973年6月末頃 東映宣伝部撮影写真有り
( スクリーン誌1975年2月号掲載 = 1974年12月21日発売 )

G・ハーベスト社 ← 東映 → スクリーン誌(?)



そもそも李さんは、上記のジム・ケリーの記事や付録ポスターのマックィーンを目にしたのだろうか?、妄想は広がります。

李さんの手元に届いた最も有力な経緯はやはり『東京ーソウルーバンコック 実録麻薬地帯』関連の東映のスタッフが持ち込んだのでは?、

って感じですが、もしもスクリーン誌の編集部が直で李さんに贈呈したなら、このスクリーン誌を手に取るリーさんの写真も存在希望!です。

或いはチョッと可能性低いですが、李さん本人が精密検査を兼ね渡米した帰り( 1973年6月上旬? )東京で日本刀を物色した?折に、

東京の書店で当時発売中の「スクリーン」7月号を購入して持ち帰った?って云うのも有りですかね。(^^;



Special Thanks to ptl-sama

2024年4月22日


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