南越鯖江藩儒三代 芥川歸山 (捨蔵、済、子軫、舟之)
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鯖江藩文学、芥川玉潭の長男。文化十四年(1817)十二月八日、鯖江に生まれる。 十六歳で家督を継ぐ。初め京師の後藤左市郎(遠縁か)に師事、のち江戸の林大学頭に入門。 帰藩後、江戸藩校「惜陰堂」の引立役となるも足利學校に入り古書を研究する。 天保十四年(1843)十月藩命により進徳館儒官の任にあたるため帰郷。 安政五年(1858)九月、藩主間部詮勝の命で京都に在り 彦根藩重臣や九条家と気脈を通じ朝廷の条約勅許に奔走した。 安政七年(1860)正月、江戸の林大學頭命麻布教授所の教授を務めたが、 維新後の慶応四年、再び帰郷し敦賀縣鯖江黌教師、武生小學校授業伝習所一級教師を歴任した。 妻、鯖江藩士片寄小傳治長女、千代。明治廿三年(1890)六月廿一日歿。享年七十四。 |
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南越鯖江藩儒二代 芥川 玉潭 (才二郎、子轍、希由) | |
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